正義とは一体なんじゃらな。

勧善懲悪、完全無欠の正義と悪。

©円谷プロダクション

当事者が自暴自棄にならない限り、本来このような争いは地球上に存在しないはずである。人間が争いを起こす際、必ず双方が自らを正義と主張する。

一般的に悪とされる側を擁護する意図はないが、多くの場合、その行動の背景には「自分こそが正義である」という信念がある。たとえば、完全な悪として描かれる怪獣や仮面ライダーの敵「ショッカー」のような存在ですら、地球征服を目指すという明確な理由を持っているかもしれない。彼らの視点では、それが「正義」としての行動である可能性も否定できない。

正義感と温度差

ジブリアニメ「風の谷のナウシカ」に登場するペジテという国は、王蟲の幼虫を利用して王蟲の群れを逆上させるという、一般的には「ひどい」とされる行為を行っている。しかし、この行動もペジテ側にとっては「正義」に基づくものであって、彼らは自国を守るため、あるいはトルメキアという強大な勢力に対抗するために、その手段を選ばざるを得なかったのだ。

身近な所では迷惑行為と言うものがある。加害者とされる方は大体その意識が無い。逆に被害者側が神経質、非常識と反発する。例えば犬の鳴き声。飼い主は、「そんなに鳴いてないよ」とのたまう。しかし、周りとしては「一日中鳴いている」と言う。この差はなんだろう。それはやはり自分を擁護するためにお互いが過小、過大に評価しているからにすぎない。また、報復行為と言うものは、正義として行った事でも必ずその中には悪が存在する。そして、その悪は自分では見えなくなってしまう。いや、見えなくしてしまう。しかし、その悪は相手には良く見える。なんたって自分を護衛する為にはその悪が必要だからだ。

相手の立場を考えない正義は正義ではない。

紛争と言う行為にも必ず悪が存在する。しかしお互い当人同士はわからない。詐欺や偽称、細かい所では速度違反、その他小さな犯罪でも当人にとっては自分の為、生活の為や急を要する、スピードの快楽を理由とする「自分にとっての欲望」によって行われる。人間は本能的に自分の悪事を隠してしまい、相手が悪いと自衛、保身に回る。今、地球上で行われている紛争は、全て正義同士の争いだ。いや、正義といっても正義に仕立てられた人間の悪行ともいえる。

どちらが真の正義か?突き詰めていくと争い自体の両方に悪の要素があり、正義として立ち向かう場合に、自分の悪は自分が都合の良い様に自分で消してしまう。しかし、相手方には自分側の悪しか見えておらず、双方の食い違いとなり紛争に発展する。

そろそろ気付こうよ。争いをやめてお互いを認め合う、こういう気持ちが生まれないと戦争、紛争、裁判、もめごとはなくならない。

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